御祭神・創建由緒

村上藩祖・内藤信成侯をお祀りした神社です。

御祭神について

藤基神社の御祭神 内藤信成は徳川家康の弟で、天文14年(1545年)に生まれ母方の内藤姓を称しました。

弘治3年(1557年)に数え13歳で兄の松平元信(後の徳川家康)に会見し一字を与えられて「信成」と名乗ります。以降、家康の側近として数々の戦に出兵し、三方ヶ原の戦いでは殿(しんがり)を務めたほか、長篠の戦いではその武勇を織田信長に賞賛されるほどの猛将でした。

江戸幕府が開かれると譜代大名に任ぜられ、以降内藤家は徳川家の側近中の側近として大阪城代や京都所司代、老中といった幕府の要職を歴任する家系となりました。

村上藩祖 内藤信成侯 御肖像画
(藤基神社所蔵)

創建由緒

内藤家で初めて村上藩主となる内藤家5代・内藤弌信(信成の曾孫)は、万治元年(1658年)に生まれ、寛文7年(1667年)に4代将軍・徳川家綱に初めて御目見します。

当初、4代・内藤信良の跡継ぎには嫡子である信貞が定められていましたが、わずか14歳で急逝したことにより、急遽分家の弌信が家督を相続します。しかし、その後弌信の子も合わせて5人が早世します。

続けざまに起こる家の不幸を家祖信成の御神徳により払い除けようと、江戸の内藤家邸内に先祖信成を祀る霊廟を創建し「藤基神社」と称したのが当社の始まりです。

大正当時の藤基神社

越後国村上へ遷座

享保2年(1717年)に江戸内藤家邸内(現在の東京都千代田区霞が関)に創建した藤基神社は、享保5年(1720年)に弌信が初代村上藩主となったのち、嘉永2年(1849年)に江戸の藤基神社から御分霊を遷座し、村上城内の八幡宮跡地に現在の社殿を建立しました。

併せて、在来の八幡神及び城内二の丸に鎮座していた稲荷神を合祀しました。

その後、内藤家10代で京都所司代の内藤信敦侯と、11代で江戸幕府老中の内藤信思侯も合わせてお祀りしています。

また、明治6年(1873年)に村社に列せられたのち、村上本町新町の菅原神社の社殿廃頽により菅原道真公を合祀し、大正6年(1917年)には県社に昇格しました。

総門と社標

藤基神社の現在

明治維新を迎えた村上は、士族地域からなる「村上本町」と町人地域からなる「村上町」の2つの町が生まれました。以降、村上本町に鎮座する藤基神社は村上藩士族の氏神神社として篤く崇敬されていきます。

そして、大東亜戦争が終結し昭和21年(1946年)に2つの町が合併し「村上市」となった現在では、歴代藩主を祀る神社として村上市民全体の崇敬神社として信仰されています。

唐門

御神徳

創建の御由緒に加え、歴代城主が子孫繁栄と家運長久を祈念してきたことから、現在では安産や子育てにご利益がある信じられています。また、武家の神社であることに加え、社殿が城主居館から裏鬼門に位置する鬼門封じの神社であることから開運・勝運の神としても信仰されています。

親子の狛犬

令和2年、内藤家村上藩は立藩300周年を迎えました。

内藤家が初めて村上藩主となったのは享保5年(1720年)。令和2年は内藤家村上藩の立藩から300年の節目の年です。この節目に合わせ、戦時中に失われ、村上藩の想いが寄せられた青銅大燈籠が復元されました。詳しくはこちらをご覧ください。

Photo:Kamegai art design Co.