社殿彫刻・文化財

「権現造」の建築様式と荘厳精緻な彫刻が並ぶ社殿です。

 

 

「権現造」と「総ケヤキ造」

藤基神社の社殿は信成候の兄・徳川家康公を祀る日光東照宮と同じ「権現造(ごんげんづくり)」という建築様式により嘉永2年(1849年)に建立されました。

権現造りの社殿(正面)

 

権現造とは、平入りの拝殿と本殿が「石の間」と呼ばれる石畳の渡り廊下部分で繋がれ、3つの建物が1棟で接続されている特殊な神社建築様式です。
なかでも藤基神社の石の間は約7mもの長さを誇ります。神様が鎮まります殿に最も近い石の間は立入ることを禁じられた神域であり、かつては村上城主のみが参入を許された特別な参拝場所でした。

権現造りの社殿(横)
左から拝殿、石の間、本殿が一棟に繋がれている。

 

また、全てがケヤキの木から作られている「総ケヤキ造」でもあり、彫刻がふんだんに施された社殿は完成までに8年もの歳月を要しました。漆などの塗装をせずケヤキの木肌がむき出しの白木の社殿は重厚感があり、さながら武家屋敷のような趣を醸し出しています。

唐門

 

名工「有磯周斎」による彫刻

村上が生んだ名工「有磯周斎(ありいそ しゅうさい)」は、文化2年(1805年)に村上城下の大工町に誕生し当時の名を「周左衛門」といい、父に付き従い家業の宮大工を学ぶ傍ら彫刻について天性の才覚を発揮します。その優れた技術が藩主内藤信親侯に認められ、藤基神社建立の際には「彫刻方棟梁」として神腕を振るいました。

周左衛門はこの功などにより名字帯刀を許されて有磯周斎と名乗るようになりました。
その後、堆朱工芸品を制作し各地に販路を広げるとともに技術の普及に腐心し、現在では村上木彫堆朱の祖と称されるまでになりました。

有磯周斎の手による社殿彫刻(獏と獅子)

 

藤基神社の社殿彫刻は有磯周斎の生涯最高傑作であり、一本の木から彫出し立体的に仕上げる「籠彫り」と呼ばれる技法による荘厳精緻な作品の数々に彩られた社殿は建築技術的・美術的にも優れた神社です。

奥の院(本殿)の彫刻

蟇股には双龍、虹梁には藤が装飾さている

 

この他にも、本殿の高欄回りに斗栱(組み物)を用い、松に鷹や梅に鳩、牡丹や神紋の下がり藤などの見事な彫りが随所に見られます。

松に鷹

梅に鳩

拝殿蟇股の双龍(近景)

 

文化財について

藤基神社は村上城内三の丸に位置し、江戸時代から姿を変えることなく現在に受け継がれています。社殿裏手には村上では唯一、村上城の土塁跡が現存していることもあり境内地全域が国指定史跡『村上城跡』に、社殿及び付属建造物が村上市指定文化財および歴史的風致形成建造物に指定されています。

 

御神宝「内藤家歴代当主肖像画」について

「内藤家歴代当主肖像画」は、村上城主内藤家の家祖信成から第10代当主信敦までの歴代当主を描いた10枚の肖像画です。内藤家を祀る藤基神社の御神宝として、代々の宮司のみがその存在を伝えられ、秘宝としてされ大切伝えられてきましたが、その重要性から、令和2年7月に初めて公開されました。絵画としても特に優品で、かつ10点もの肖像画が長期間にわたり離散せず現存している例は非常に珍しいものとして、すぐさま村上市の文化財に指定されました。現在は、神社のみならず郷土の宝として、おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)で展示・保管されています。(絵の劣化防ぐため、展示を控えている場合がありますので、展示可否についてはおしゃぎり会館までお問い合わせください。)
肖像画の詳細についてはこちらをご覧ください。

 

 

神社境内について

本殿の周囲は唐門と源氏塀が囲み、頑なに神域を守っています。塀の腰長押は繋ぎ目のない一本の木を使っており、昔の贅沢な造りに驚かされます。

唐門と源氏塀

 

内藤家の定紋であり、藤基神社の神紋である「下り藤」は社殿の至る所に彫刻されており、拝殿の扁額上部には内藤家裏紋の「軍配団扇」を、社殿内の釘かくしには内藤家の印「卍」が施されています。また、総門正面の石垣は村上城の石垣と同じ柏尾の石が使われています。

唯一裏紋を見ることができる偏額

総門と八重桜

 

他にも境内には数多くの石碑が建立されています。その中でも「種川の碑」は世界で初めて鮭の回帰性を発見し、村上の鮭を守った村上藩士・青砥武平治の頌徳碑です。青砥武平治と村上の鮭の関わりを詳しくご覧になりたい方は、藤基神社神事「鮭魂祭」のページをご覧下さい。

 

鳥居三十郎碑(左)と種川の碑(右)

日露戦争忠魂碑(左)と村上藩士殉難碑(右)