当社では、全てを手書きにより一枚一枚心を込めて奉製しています。
現在、
①【7月限定】季節限定御朱印『金魚』
②平安文様御朱印「波丸繋(なみのまるつなぎ)」
③御朱印「藤基神社」
④御城印「村上城跡」
の4種類の印を頒布しております。御初穂料はすべて500円です。
村上にお越しの際はぜひお参りください。
藤基神社では、諸般の事情により直接お参りできない方に対しては、郵送で御守りや御朱印の授与を行っております。
郵送頒布を希望される方はオンライン授与所よりお入りください。
![](https://fujimotojinja.jp/wp-content/uploads/2024/06/IMG_0236-683x1024.jpg)
![](https://fujimotojinja.jp/wp-content/uploads/2021/06/藤基神社御朱印・御城印写真-1024x683.jpg)
①【7月限定】季節限定御朱印『金魚』
自由に泳ぎ回る金魚をイメージした御朱印です。
![](https://fujimotojinja.jp/wp-content/uploads/2024/07/【横長】R6夏詣御朱印-1024x731.jpg)
②【100体限定】平安文様御朱印『窠に唐草(かにからくさ)』
日本の美しい伝統的文様を多くの方に知ってもらいたい。
1人の若手神職の思いから、この御朱印は出来ました。
今回の文様は「窠に唐草(かにからくさ)」です。
100体限定で平安文様(へいあんもんよう)御朱印を頒布します。
体数限定のため、頒布数に限りがございますので、満了の際はご了承ください。
![](https://fujimotojinja.jp/wp-content/uploads/2024/06/【横長】窠に唐草-1024x731.jpg)
平安文様(へいあんもんよう)とは
平安装束や公家の調度品に用いられた優美で格調高い文様です。現在でも皇族や神職装束などで見ることができる。有職文様(ゆうそくもんよう)ともいいます。
窠に唐草(かにからくさ)とは
窠文とは、現在も家紋として残る木瓜紋の原点であり、モチーフは花とも鳥の巣ともされる。謎がありつつも多くの人に好まれている文様です。
唐草文は蔦などが伸びた図案を幅広くさす文様であり、古代エジプトで生まれ、シルクロードを通り伝わった。実は日本以外にも残っており、海外ではアラベスク紋様と呼ばれています。
窠に唐草文はその洗練された美しい意匠と唐草のもつ繫栄の意味から、公家装束の袍(ほう)などに用いられた文様です。
※袍とは正装の上着のこと。黒や緋など位により色目が決まっていました。
![](https://fujimotojinja.jp/wp-content/uploads/2024/06/窠に唐草-.png)
③御朱印「藤基神社」
④御城印「村上城跡」
御城印とは
近年、神社やお寺に参拝した証である御朱印のほかに、城に登城した証としてもらえる御城印の頒布が全国各地のお城や城跡で広がりをみせています。
当社は村上城内三の丸に創建され、江戸時代から変わらない風貌を遺しています。また、社殿裏手には城郭の土塁跡を有し、城の遺構を残すものとして、境内地全域が『国指定史跡 村上城跡』に指定されています。そのため、当社で続日本百名城「村上城跡」の御城印を頒布しています。
当社にお詣りし、悠久の時を経て変わらない風景に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
国指定史跡 村上城跡について
村上城は、上杉家の鬼神と評された「本庄繁長」を代表する本庄氏によって戦国時代に築城されました。以降、たびたび主を替え明治維新を迎えるまで延べ10家25人の城主を迎えました。城主家が変わるたび城と城下の整備が行われ、その面影は現在の村上にも色濃く残っています。
幕末、戊辰戦争の動乱により城本丸は焼けてしまいましたが、天守跡や城の石垣はいまなお残り、村上城跡として平成5年に国指定史跡に指定されています。
村上城本丸があるお城山も約20分ほどで山頂まで登ることができ、村上を一望できます。かつての村上城に思いを馳せて、村上城跡また藤基神社にお参りください。